1枚目:(2007年)Ka6、6000発記念写真@妻沼/2枚目:(1974年)白鴎の機体組@美瑛
現有機 歴代所有機 番外編

現有機
Grob G102ClubAstirVb
JA102B
 Don't miss it! Coming soon!
現有機
ユビ/アレキサンダー・シュライハー式ASK13
JA2312 (S58.2〜)
ASK13イメージ
生産国:ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)
設計者:Rudolf Kaiser
初飛行:1966年
構造:鋼管羽布張り
全幅:16.0m
全高:1.6m
全長:8.18m
翼面積:17.5m2
アスペクト比:14.6
空虚重量:290kg
最大離陸重量:480kg
超過禁止速度:200km/h
失速速度:60km/h 複座時
最小沈下率:0.81m/s @ 75km/h 複座時
最良滑空比:28 @ 85km/h 複座時

 現在東海大学航空部が所有する唯一の複座練習機。新入生はこれに乗り練習することになる。 うちの13はアレキサンダーシュライハー社製ではなく、同じくドイツのユビ社でライセンス生産されたもので、エルロン部が羽布張りでない等若干仕様が異なる。 ショックアブソーバー付きの主車輪を有し、多少の荒い着陸でも安全に降りられる事などから、複座練習機のベストセラーである。宙返り等の限定的な曲技飛行も可能。
 操縦性は比較的素直で練習機向けではあるが、スピンに入れるのも(入っちゃうのも?)簡単である。けれども回復も簡単なので、スピントレーニングにはまさにうってつけ。 当機の特徴である6°の前進翼は、平均空力翼弦を前方に持ってくることで、後席が重心位置近くになり、単座時と複座時の重心位置変化を少なくするためである。 つまり、ソロの時バラストをあまり積まなくても済む。親切だね。また、ワンピースキャノピー(割るなよ)で視界の良さは折り紙つきである。
 2008年10月には、ウインチ曳航中に落着し、ノーズ付近等を損傷、修理のため大利根に送られる。 1年間の修理後、見事復活を果たした13は、ノーズとテールをスキッドからホイールに改修され、メインホイールのブレーキもドラムからディスクに変わり、革命的に制動力が向上、機体取りが楽チンになった。 それと合わせて外見も美しくなったことから、一部の部員からスーパー13や13.5と勝手に呼ばれている。ただ、やたらと舵が重い。
アレキサンダー・シュライハー式Ka6CR
JA2459 Rhönsegler (H2.7〜)
Ka6CRイメージ
生産国:ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)
設計者:Rudolf Kaiser
初飛行:1955年(Ka6型)、1958年(CR型)
構造:木製羽布張り
全幅:15.0m
全高:1.6m
全長:6.66m
翼面積:12.4m2
アスペクト比:18.1
空虚重量:210kg
最大離陸重量:300kg
超過禁止速度:200km/h
失速速度:60km/h
最小沈下率:0.68m/s @ 70km/h
最良滑空比:29 @ 80km/h

 もはやこの機体はビンテージ(古くて価値のある)機と言って差し支えないだろう。このJA2459が製造されたのは1963年、東海道新幹線の開業する前の年だ。 JA2312と同様にAS社製ではなく、ドイツのポール・シーベルト社によりライセンス生産されたものである。製造後幾度かの破損やオーバーホールを繰り返し、平成2年ドイツから日本へやってきた。 機体をじっくり眺めていると、テールがスキッドではなく小さな車輪がついていることに気づく。それがJA2459のちょっとした特徴になっている。
 Ka6は1960年の世界選手権大会スタンダードクラスで1位から3位までを独占、次の63年大会でも優勝した事のある名機である。 オリジナルKa6は車輪なしのスキッド、14.4mスパンの機体である。スパンを15mにしたB型、C型、スキッドからメインホイールに変更したBR型、CR型の派生型が存在する。 更なる派生型として、胴体をスリムかつより流線型に、水平尾翼を全遊動式(スタビレーター)に、翼型も変更しASK23に迫る高性能化を図ったE型も後に登場した。
 当時の最高の合板技術を投入し、薄く仕上がった主翼を持つこの機体は、とても軽く、初めて乗った人は13との舵の違いに腰を抜かすに違いない。 その為小さなサーマルでもしっかりとコアをつかめ、滞空というチャンスを物にしやすい。しかしながら、風が吹いてきたら、泣きの涙である・・・。し、沈む・・・。
 現代のグライダーと比べたら、そのハンディキャップは致し方ないが、2006年全国大会では、LS等の強豪を抑え伝説的な個人優勝を果たした。 また、2010年は個人2位、団体2位というこれまた快挙を成し遂げたのである。今後も末永く大空を飛び続けてもらいたい。
 <補足>部誌「白鴎」13号より抜粋。「・・・“レーンゼグラー”(テールレターRS)に決めました。これはシュライハーがKシリーズにつけた愛称で、 “レーン○○○”のレーンは、同社のお膝元ワッサークッペのあるレーン地方から、○○○は鳥の名がつけられ、6はアマツバメという意味のゼグラー (一般的にはグライダーの意なので、6はシュライハーの代表的機体という意味かも?)、ちなみにKa-7は鷲のアドラーですが、悲しいかな8にはついていません。・・・」
アレキサンダー・シュライハー式K8b
JA2308 春風 (S58.2〜現在お休み中)
K8bイメージ
生産国:ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)
設計者:Rudolf Kaiser
初飛行:1957年
構造:鋼管羽布張り
全幅:15.0m
全高:1.57m
全長:7.00m
翼面積:14.15m2
アスペクト比:15.9
空虚重量:190kg
最大離陸重量:310kg
超過禁止速度:190km/h
失速速度:55km/h
最小沈下率:0.67m/s @ 60km/h
最良滑空比:27 @ 73km/h

 この機体に上昇性能で勝る機体は無いといわれるほど、軽い機体である。どんなに渋い条件でもK8ならば滞空できるらしい。なにせ最小沈下速度は 60km/h!!どんなに小さいサーマルでもきつくないバンクで上昇していく。それはKa6以上である。どっかのHPに書いてあったが、まさに車に例えるなら、 コアなファンが大勢居る、どこにでも行けるジムニーであろう。
 当然、足もシックス以上に無いわけで、遠出するときは常に高度のマージンをとらなければならない。風が吹いてきたらもっとやばく、 真冬の強風時には地面に対して相対的に停止することはおろか、なんとバックも出来るという!?しかし一昔前までは、K8が主流だった時代があったのだ。 K8コンペなるものが妻沼で開かれたこともある。
 今や妻沼で石を投げれば(実際に投げちゃダメよ)どっかのディスカスやASK23に当たる時代、着陸時、進入速度が80km/hで、ゆっくりと判断・操作が出来、 簡単に滞空もできるこのK8は、初心者がグライダーの魅力を早い段階から簡単に味わえる数少ない機体であろう。上級者でもこいつで周回できるようになれば、 一流と言えるかも。
 但し今は、オーバーホールの機会を伺いながらゆっくりと格納庫で翼を休めている。


歴代所有機
三田式3型改1
JA2103 白鴎 (S44.5〜S59.9) / JA2120 (S56.6〜S60.1)
三田式3型改1イメージ
生産国:日本国
設計者:宮原旭
初飛行:1966年
構造:鋼管羽布張り
全幅:16.0m
全高:1.3m
全長:8.00m
翼面積:15.9m2
アスペクト比:16.1
空虚重量:300kg
最大離陸重量:450kg
超過禁止速度:180km/h
失速速度:62.5km/h 複座時
最小沈下率:0.75m/s @ 75km/h 複座時
最良滑空比:30.8 @ 85km/h 複座時

 JA2103号機は、東海大学航空部2代目の複座練習機。それまでのH-23Bに変わり、多くの東海大生がこれに乗り育っていった。 松前総長より白いカモメを意味する「白鴎」(はくおう)と命名され、その名は当航空部機関紙の名にもなっている。また東海として初出場となった1969年全国大会の優勝機でもある。 もう一つの三田式JA2120号機は、昭和56年から工学院大学より長期間借用(実質払い下げ)した機体で、しばらくの間2機交代体制で訓練を行なっていた。
 三田式は慶應義塾大学(別称三田)OBの資金援助を受け、軽飛行機開発で製造されたシリーズである(後に製造は太南工業に移管)。 この3型は、主翼に層流翼を採用してはいるものの凸凹の多い木製主翼で、胴体も決して抵抗が小さいわけでもなく、実際の滑空比はそれほどでもなかったらしい。 操縦面では、テールヘビー機である為、正確に二点接地をしなければバウンドをしたり、直進性が悪く直線滑空も一苦労、練習機なのにとても難しかったという。 3分割構造の主翼である事などから、機体の分解組み立ても同様に難しかったらしい。
 そんな三田式3型に昭和60年にTCD(耐空性改善通報)が通達される。主翼強度の不足が発覚した為で、多くの大学で使用されていた三田式3型は引退せざるを得なくなった。 東海の2機も13にその役目を引き継ぎ、惜しまれつつも勇退。この機体の飛行停止により、日本製グライダーの時代は幕を下ろしたといっても過言ではなかろう。
シュバイツァー式SGS 1-26E
JA2160 青雲 (S49.3〜S58.2)
1-26Eイメージ
生産国:アメリカ合衆国
設計者:Ernest Schweizer
初飛行:1954年(1-26型)、1971年(E型)
構造:全金属製
全幅:40 ft(12.192m)
全高:7 ft 2 in(2.197m)
全長:21 ft 6 in(6.565m)
翼面積:160 ft2(12.4m2
アスペクト比:10
空虚重量:445 lbs(202kg)
最大離陸重量:700 lbs(318kg)
超過禁止速度:114 mph(182km/h)
失速速度:28 mph(45km/h)
最小沈下率:2.6 fps(0.79m/s)
@ 38 mph(61km/h)
最良滑空比:23 @ 48 mph(77km/h)

 ソアリングを楽しむ・・・これがこの機体の目的である。 まさしくそんな機体でグライド性能はK8にも及ばないが、多くの東海大生が空を飛ぶことの楽しみをこれに乗り覚えた。 驚くべきは失速速度で28 mph!サーマリングには持って来いである。また操縦がしやすく、経験の少ない人でも乗りこなせる機体でもあった。
 諸元を見ると良く分からない単位で書かれているのに気づいた人もいるかもしれない。それもそのはず、この機体はアメリカ製の機体なのである。 当然、JA2106「青雲」も計器はフィート、マイル計(ノットではないので注意)、独仏式に慣れている日本人にとって最初は厄介である。
 1-26型はシュバイツァーの代表的機種で、多くの人が今もソアリングを楽しんでいる。本国では1-26クラスなるものも存在する。 E型はその最終形で、全金属製である。よく「羽布機の東海」と言われるが、今まで運用してきた1/3が金属機からして、「羽布と金属機の東海」がより正しい。 「羽布と金属機の東海」が真ならば、「プラスチック機の東海」は偽である。
 そんな青雲もK8導入に伴い、昭和58年関宿に売却され、また一つ東海の歴史が移り変わった。以後東海はグライダーの本場ドイツ製のグライダーのみの運用となっていくのである。
ICA式IS-29D2
JA2239 鴻 (S53.10〜S54.9) / JA2264 雄飛 (S55.1〜S56.6)
IS-29D2イメージ
生産国:ルーマニア
設計者:Iosif Silimon
初飛行:1970年
構造:全金属製
全幅:15.0m
全高:1.68m
全長:7.38m
翼面積:10.4m2
アスペクト比:21.6
空虚重量:235kg
最大離陸重量:360kg
超過禁止速度:225km/h
失速速度:68km/h
最小沈下率:0.58m/s @ 78km/h
最良滑空比:37 @ 95km/h

 正式名称、インタープリンダラ・デ・コンストルクティー・アエロノウティテェ・ブラソブ(Intreprinderea de Construcţii Aeronautice Braşov)式IS-29D2は、悲劇の機体である。
 IS-29D2は、ドラキュラで有名なルーマニアはトランシルヴァニア地方、ブラショブ県にあるICAによって製造された機種で、ICA製の機体は日本では他にも、複座のIS-28やその高性能モグラバージョンのIS-28M2が登録されている。 現在に至るまでIS-29D2は、当航空部所有機として唯一のT尾翼機であり、ショックアブソーバー付き格納式車輪を備え、尚且つフラップ付きの機体である。またL/Dも最も大きい。 全金属製。当時としては高性能であり、見た目もいかにもといったところ。またJA2239は同型機日本初導入である。
 そのJA2239は松前総長より「鴻」と命名される。読みは“おおとり”、大きな水鳥または“ひしくい”という名の鳥をあらわし、大きい、強い、盛んという意味も持つ。 そういえば、我らが湘南新宿ラインで熊谷に行く途中に「鴻巣」があるが、そうか、おおとりの巣って言う意味だったんだね。市内を探索すればIS-29D2が眠っているかも。
 部員に夢を与えてくれたIS-29D2も、操縦性はシビアで、スピン特性も悪かったらしい。そして不運な事に、JA2239は曳航索が草に引っ掛かった事による、離陸寸前のグランドループで廃機。 2機目のJA2264は進入中の失速により墜落、廃機。二回ともパイロットの命に別状がなかったのは不幸中の幸いである。
 ともに総飛行時間が50時間にとどかずに、またフラップ等の有用性を実証する前にその使命を終えた。東海にとって昭和53年から56年の3年間は、あっという間に過ぎ去った。 他大学でも、IS-29D2をスピンによる墜落事故により失っている。今後の活躍が期待された同型機ではあるが、学生が扱うには決して優しくはない操縦性が災いし、日本では短命に終わった。 まさに悲劇の機体である。
萩原式H-23B-A2
JA2022 (S41.5〜S44.7)
H-23Bイメージ
生産国:日本国
設計者:堀川勲
初飛行:
構造:鋼管羽布張り
全幅:12.958m
全高:1.55m
全長:7.112m
翼面積:17.0m2
アスペクト比:10
空虚重量:243kg
最大離陸重量:370kg
超過禁止速度:110km/h
失速速度:55km/h 複座時
最小沈下率:1.05m/s @ 60km/h 複座時
最良滑空比:17.05 @ 73.5km/h 複座時

 1959年(昭和34年)に発足した当部は、当初回数は少ないながらも霧ヶ峰の飛行会に参加し、プライマリーに乗り訓練をしていた。その後、原田覚一郎教官を招き、霧ヶ峰や藤沢飛行場で自動車曳航やウインチ曳航による合宿を機体を借用し行なった。 部員が増え単独合宿が出来るように成り、東海1号ウインチの製作、藤沢飛行場閉鎖に伴う妻沼への訓練場所変更等の変遷をたどっていくなかで、自分達の機体で訓練したいという思いは日に日に高まっていった。 そしてついに慶應義塾大学より中古のH-23Bを購入に至ったのである。その資金を集める為部員は強制バイトをし、苦労は耐えなかったようだ。その分喜びも一入だったのは、想像に難くない。
 ところが、せっかく手に入れたはいいものの整備が大変で、学生自身で治したのだが、原田教官も当惑する出来であったらしい。そんな機体ではあるが、当航空部の成長の原動力として多くの学生がこれを用い技量向上をはかった。 また東海大学航空部初のC章もこの機体で達成された。
 H-23Bは荻原(はぎわら)滑空機製作所で開発された機体であり、当型機と、2本あった翼支柱を一本にし、エアブレーキの変更、翼幅の拡大等の変更が加えられたH-23Cは、他大学でも広く用いられた。 学連機も23Bであった。23Bは見てのとおり抵抗の大きい機体で、今のグライダーと比較すると性能差は歴然である。現代のグライダーの進化、50年の技術進歩には驚きを隠せない。
 写真は、昭和44年7月に一回限り行なわれた静岡県御前崎海岸での合宿時のものである。砂浜でのグライダー訓練は海外では見られるが、日本では非常に珍しい。2枚目のハウストレーラーは自作で、東海ウインチ含め当時は学生達で何でも作ってしまった。 活気溢れる古き良き時代である。H-23Bはこの御前崎合宿の最後に、ウインチ曳航中の索切れ事故により廃機になってしまう。事故の2ヶ月前に導入された白鴎がその役目を引き継いだ。


番外編
アレキサンダー・シュライハー式ASK21
JA2520 /JA05KH etc.
ASK21イメージ
生産国:ドイツ連邦共和国
設計者:Rudolf Kaiser
初飛行:1978年
構造:ガラス繊維強化プラスチック製
全幅:17.0m
全高:1.55m
全長:8.35m
翼面積:17.95m2
アスペクト比:16.1
空虚重量:360kg
最大離陸重量:600kg
超過禁止速度:280km/h
失速速度:65km/h 複座時
最小沈下率:0.70m/s @ 75km/h 複座時
最良滑空比:34 @ 90km/h 複座時

 これぞまさにTHE練習機と呼べる機体で、読んで字の如く21世紀にも通用する傑作練習グライダーである。 もちろん21の意味は別のところにあるんだけど。残念ながら当部は所有していないが、学連機や他校からの借用などで乗る機会は意外と多い。
 ASK21はこれまた練習機としてベストセラーだったASK13の後継機として開発された(カイザーさんすげーな)。練習機としての要素はそのままに、主要構造に当時グライダー界の主流になったGFRP(=ガラス繊維強化プラスチック)を採用している。 プラスチックの採用により、空気抵抗の少ない流線型の機体製作が可能になり高速性能が上がったほか、機体強度も大幅に向上した。テールスライドや逆宙返り等を除くほとんどの曲技をこなすことが出来ることからもその頑丈さが伺える。 なお主翼は1°の前進角のついた層流翼を採用、翼端の下に曲がっているのはスキッドである。背面飛行したらウイングレットになるのかな?
 操縦性も実に穏やかでスピンにいたっては逆に綺麗に入れるほうが難しいといわれている、飛行安定性がとても良い機体。そのためスピンの訓練をする場合にはテールに錘をつけれるようになっている機体もある。 13と比べると滑らない、音も静か、ダイブの開度によって速度が変わらない、外の眺めが違う、機密性が高くて蒸し暑いなど乗り換えにはいろいろと注意が必要。
 登場から30年以上たった今も生産が続けられ、総生産機数は800機以上にのぼる。妻沼にも数え切れないほどいて、何機も飛んでいると見分けがつかないから嫌らしい。なお滝川にあるJA03KHは21初号機である。 2004年にはロータリーエンジンを搭載した自力発航型モグラバージョンのASK21 Miが登場した。ノーズギアはラダーに連動してるわ翼端に車輪があるわで、タキシングから離陸まで人手は一切かからない優れものである。